Trick or Treat?


 平泉は、その時、ちょうどクラブハウスの玄関を出たところだった。外は夜の深い色と冷気をまとってはいたが、シーズン終盤でのミーティングはそれでも想定していたよりは幾分早く終わり、あとは帰路につくだけだった。見知った顔を、入り口の近くに置かれたソファーの上で見つけるまでは、の話だが。
「トリックオアトリート」
「持田」
 唐突にそんな言葉を投げてきた相手の名前を呼ぶ。それはほとんど反射に近かったが、時間をかけて答えても他の言葉は出てこなかっただろう。選手の解散はもっと早かったはずで、本来は持田がここにいるのはおかしい。おまけにこの言葉だ。
「帰らなかったのか」
「イタズラしてもいいってこと?」
 答えるつもりはないようだ。平泉は諦めて、歩き始める。持田は立ち上がり、そうすることがしごく当然のように、その半歩先を歩く。
「で?」
 振り返りもせずについさっきの戯言をむしかえす。本当はさして大事でもないのに、だ。大事なことを言うのが嫌で代わりにそんなことを言う。そのくせ、今、彼が最も直視したくないこととほとんど同義だと分かっている自分のところにくる。少し前を行く持田のジーンズに包まれた足が視界でちらつく。  同情はしない。  怪我で去った選手など山と見てきたし、完治できない怪我などではなく、もっと些細なものでコンディションを下げたり、居場所を失ったり、結果、よほど若くピッチを去らざる得なかった選手たちもそれこそ思い出せないほど見てきた。そのひとりひとりは皆同じように真剣に自分の仕事に向き合っていたし、プロと言うのはそういうものだ。持田のことはチームの戦力としての考えは別として、本人だけのものだ。
 だから。
 それでも。
「残念だが今持ち合わせがなくてな」
 平泉の返事に持田がわずかに減速する。
 それでも完全に足を止めた平泉との間にするすると数歩の距離が空く。
「ひと月ほどずれてしまいそうだ」
 平泉の返事に持田は足を止めた。それから少しの空白のあと、一度弾みをつけるように背中を丸めたあと、天を仰ぐように背を反り返らせて声をあげて笑った。
「それ、“トリート”のつもり?」
 持田はまだ笑いながら、いやきっとイタズラなのかな、ウケたもんと続ける。
 それから、振り向いて不穏当な真剣な顔をつくる。
「お礼に、お年玉獲ってきてあげますよ」
「期待してる」
 対戦カードどころか、まだ決勝へのチケットも手にしていないこの段階で、持田はそれに当たり前だという顔をした。頂点にい続けることに対して気負うことのないその姿を平泉は好ましく思った。結果を背負うのは監督の責任であり、選手の役割ではない。前を向いて走るのが彼等の仕事だからだ。
「とりあえず今日はテーブル回る中華がいい」
「……ついてきなさい」
 少し先にいる、持田を追い越しながら、平泉は言う。意識しなくとも自然と足は目に入らなかった。

 

昨シーズンのつもり。何だかきちんと昇華しきれてないなぁ。